じいさんが死んだ話と人生最初の通夜・葬式の話 前編

祖父が死んだ。87歳だった。
二年半ほど前からガンなんかで体を悪くしていたらしく、老人ホームみたいなところと自宅を行ったり来たりしていたらしい。自分が最後にあったのは一年ほど前で、その頃には寝たきりになって周りの人のこともよくわからなかったようだ。

父方の祖父だったので親父の父親に当たる人だったのだが、血縁でも関係性が疎遠な現代社会に漏れず、両親と兄弟五人で暮らしていた自分は祖父もほとんど会話したことがない。祖母はときたま自分の家へ野菜を持ってきてくれたりして、よく遊んだり話した覚えはあるのだが、祖父は祖父宅へ父と尋ねたときなどに畑仕事から帰ってきたところなどで挨拶したぐらいのものだ。それも高専進学と同時にほとんど行くなくなったため、まともに話したのはおそらく中学時代が最後だと思う。

かなり前から容体が悪いことは聞いており、二ヶ月ぐらい前から父にいつでもこちらにこられるよう用意をしておくように言われていた。もっとも、前述の通り接点の薄い祖父だったのでどうリアクションすればいいのか困った覚えがある。むしろ電話を聞いて思ったのは祖父のことではなく、いつも冷静で頼り甲斐がある父が聞いたことのないぐらい動揺していたことだった。電話を切った私はすぐに母に電話して、父を支えてやってほしいと伝えたことをよく覚えている。

ここ最近は大学の研究もそれなりに順調で祖父が危ない状態にあることを半ば忘れていたのだが、今週父から電話がかかってきて、27日の昼になくなったことを聞かされた。正直父はもっと動揺しているかと思っていたのだが、電話の声は以前と違い非常に落ち着いていた。少し意外に思ったが、その理由も後ほど理解できる。

我ながら冷酷にも未だ何の感慨も持てないまま28日に通夜、29日に葬式があるというので、聞いたその日の夜行バスに乗って実家に帰った。ついたその朝からとりあえず喪服を買ってその足で父の実家に帰ると、仏壇の間に棺桶が置かれていた。従兄弟に顔を見るかと聞かれたが、正直なところ少し怖くて遠慮してしまった。これは後ほどすごく後悔することになってしまった。

通夜と葬式は近くのホールで執り行われる、ということでそちらに移動して通夜の開始を待つことになった。時間が立つことに親戚が集まり出したのだが、十年ぶりに会う親戚や一度も見たことがない親戚が来た。なるほど、現代では葬式ぐらいでしか親戚が集まらないと聞いていたが、実感できる話だった。

少し座敷を抜け出して通夜が行われるホールへ行くと、棺桶の奥に祖父の写真が飾られていた。葬式の写真といえば白黒写真に黒の額縁、黒のリボンというイメージだったが、そこに飾られていた写真はカラーですごくいい顔をした祖父の笑顔だった。後で聞いた話によると十年前に金婚式の時に祖母と一緒に家の前で撮った写真だったらしく、スーツを着てやさしく笑う祖父の顔を見ていると、ますます死んだことが実感できなくなった。

通夜が始まると、いろんな人間がお焼香*1に来た。中でも多かったのが父・母の職場の人間だったのだがそれだけで30人近くいた気がする。そういう人たちを見て思ったのは、これだけ多くの人が参列してくれるのは嬉しいということだった。もちろんこれらの人々はほとんど直接祖父との面識はない。それでもより多くの人がここにいてくれるということは、それだけ祖父のことを思って来てくれている人が多いということであり、自然と嬉しいと思った。
また、私が以外に思ったのは親族にも一人も泣いている人がおらず、みんな受け入れたような不思議な顔をしていることだった。これは父も同じで、後ほど母に聞いてみると長い闘病生活と寝たきりの生活のうちにだんだんとみんな受け入れて行った、ということらしい。母はそれを、死ぬ準備をしていたのだと表現した。
私はここに至ってやっと祖父自身のことに興味が向き顔を見たいと思ったが、すでに棺桶は前に置かれていたため、明日の葬式のお別れの時に改めてきちんと確認したいと思った。

その後親戚一同で食事をしたのだが、知らない人ばかりで知らず知らずのうちに気疲れしていたらしく、布団に潜り込んだ瞬間泥のように寝た。

*1:なんかお線香っぽいものに燃えやすい紙の粒みたいなのをかける儀式