お布施など宗教・冠婚葬祭時の値段決定について

最初みたときはお寺の方の既得権益を守る行為かと思ったが、記事をよく読んでみるとお寺側の主張もなかなか理解できるものだった。

この事業に困惑しているのが、全国の伝統仏教宗派で組織する全日本仏教会。理事会などで「営利企業が、目安と言いながらも、布施の料金体系化をはかっていいのか」などといった声が出されたという。

 全日本仏教会の戸松義晴事務総長は「布施をどう考えていいか分からないという声があるのは承知している」としながらも、「布施は言われて出すものではなく、出す人が額などを決めるもので極めて宗教的な行為。価格を決めて商品のように扱うのはいかがなものか」と指摘する。

この辺などを読めば、なかなかこれらの反発も理解できるというものである。しかし、お寺に行ってもらう一般人としてはいくら払えばいいか分からないというのも深刻な問題であり、目安の値段を表示してもらえるのは非常にありがたい。
この問題はお互いの利益がぶつかって食い合うようなものではないが、お互いの利益がすれ違っている気がする。お互いの利益のベクトルが平行に敷かれており交差していないのだ。おそらく昔、お寺・神社と檀家・氏子の距離が近かったとき、また近所付き合いなどでお互いの冠婚葬祭に出入りしていたときはその辺の価格というのは経験的に分かっていたのだろう。
私はお寺・神社というものは基本サービス業に近いものだと考えているから、お客さんにといってより利用しやすいサービスを提供しなければならないと思っている。もちろん仏教としての精神が気持ちとしてのお布施に現れているのは理解しているが、お布施などの目安・値段が分からず檀家や参拝者にとって利用しにくいお寺である方が仏教の精神にはより反しているのではなかろうか。また、より現実的な面として地方の零細寺社にとってお布施などは重要な収入源であり、その辺が不安定であることは経営的にも悪影響がある。また、目安が示されていることで今まで敬遠していた潜在的な参拝者などが新たに懇意となってくれる可能性もある。
近年寺社と人との距離は遠のくばかりであり、お寺も今までと同じ手法を取っていればいいというものではなくなってきた。そんな中で、今回のお布施目安は一つのきっかけにもなるのではないかと思う。仏教協会の人々には今回のことをきっかけに深く議論を行い、前向きな結論を出してほしい。