著作権・あるいは特許という考え方

著作権・特許っていうのはまあ先に発明・発見した人に一定のボーナスを上げますよって考え方なんだけど、もはやその制度を利用することが前提な組織・著作権者が多すぎてそもそもなぜそういったシステムがあるかきちんと考えて発言してる人がいなさすぎる。相手が著作権者であっても一定の論理が通ってれば少しは聞こうという気にもなるんだが、やつらに著作権が何のためにあるのかって聞いて、著作権者の権利を守るため、としか帰ってこないからどうしようもない。それって結局自分が特するからじゃねーか。論理すらねえ。
そもそも、著作権や特許なんて言う制度があるのは著作権者を利するためでも特許取得者の懐を潤すためでもない。それらは結果であって当たり前だが制度の制定理念ではない。ではその制定理念とはなにか?
無論社会全体を発展させ、全体で利益を得るためである。例えば特許の概念がないと当たり前だがベンチャー企業などは大手に勝てない。発明する端から大手はパクっていけばいいからである。それでも昔は、技術を秘匿する方法や伝搬に時間がかかったため先行者の利益というのはある程度確保できた。しかし、インターネットやマスメディアが発達し世界規模で商品が流通する時代ではそういうわけにもいかない。つまり、大手が世界を牛耳り発展を停滞させないために、発明時の利益を上げる意味でそれらの制度を制定したわけだ。
ここで最近の著作権年数の延長だったりIT関連の特許の取扱い(ソースコードの特許はあるのか、FFのATBは特許として適当か、etc...)に目を向けてみると、なんとなく前例主義に習ったり著作権者が既得利益の拡大を狙ったりで当初の理念がどこにもない。また、不思議なことにだれもその概念を知らないか、知っていても意味がないような振る舞いをしているように感じる。
制定の理念を考えると、ぶっちゃけた話社会のためにならない著作権・特許の権利など論外なのだ。本の著作権が50年、というのも長すぎである。どうせ出版で稼げるのは普通二、三年だし、それ以上稼げるような著者は大概大金持ちである。それならマッシュアップや引用、二次製作のために十年程度で手放したほうが、社会のためである。著作権や特許に関わる人間は、今行おうとしていることが総合的に社会へよい結果をもたらすものか、もう一度考えてほしい。